今どきの学校選びあれこれ

塾の存在と学校のあり方は矛盾するのか

今では小学生の塾通いも当たり前になってきている。
学校の勉強が難しいというのだろうか。
あるいは友だちが通っているから、という理由もあるのかもしれない。
友だちと長い時間を共有するというのは悪いことではないだろう。
周りの子が塾通いをしていれば、勉強を教えてもらいたくても教えてくれる友だちが周りにいない、という現象が起き、結局自分も塾に通うことになる、というパターンも考えられる。
学校という場は勉強だけを教えていればいいというものではない。
社会生活に必要な人との関わり方や社会常識も学ぶ。
そして数十人の生徒を一人の教師が担任として受け持つ。
勉強も指導要項に沿って進めなければならない。
塾の存在意義を学校の教師も認めている節もある。
単純に昔と比べることはできない。
生活環境が変化し、産業も発展し、そしてインターネットという画期的な情報技術の普及も手伝って、予想もしなかったサービスが登場し、あるいは犯罪が多様化してくる。
その社会変化の一部としての塾のあり方であれば、容認せざるを得ないのが現状ということであろう。
そうすると疑問に思うのは、子どもたちはいつ友だちと遊んでいるのかということだ。
学校が終わってまで遊んだりはしていないということなのだろうか。
遊びの概念も変化しているのであろう。
例えば昔なら野山を駆け回るなどが遊びであったろうが、今ではそんな野山は存在しない。
テレビやインターネット、ゲームなど身近に娯楽が溢れている。
時間的に野山に出かける時間は要らなくなり、時間は少なくても十分に遊んでいるということなのだろうか。
子どもたちには子どもたちの世界がある、というのは大人の言い訳だと片付けてしまうには的を射ているように感じられる。
塾通いは昔のような勉強の補助ではなく、勉強の主体になってきている感もある。
そして塾においても子どもたちは勉強だけでなく社会性も学んでいるのかもしれない。
いずれにせよ、子どもたちがさまざまなことを学ぶ機会が、昔とは変化しながらも確保されているという事実に変わりはない。